スクリーンとしての集合圏と粒子/余粒子による空間描像
http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/20111020/1319095674 の続き:
Cがなんかの世界(小宇宙)だとして、世界内の対象Xがあると、対象(空間)A内にXの形(シェープ)をした粒子がどのくらいあるか? という観点から世界Cを集合圏という普遍的な世界に映し出せる。集合圏は、世界の姿をそこに投影する標準的(無個性)なスクリーンみたいなもの。そして、映しだす方法がX∧。
X∧は関手=標準スクリーンへの投影法だが、モノはつまり「投影法というハタラキ=社会的関連」により規定されると考えると、米田埋め込みとなる。
反変的に余シェープYをとると、Yは測定器とか尺度と言える。Y∨は、尺度Yでどの程度識別できるか、識別の度合いにより世界を投影する投影法だと言える。粒子的描像が運動の自由度、余粒子的描像は位置の識別の可能性で空間を探ろうとする。