小ネタ:単位対象は終対象じゃないこと
モノイド圏で、×、1とかの記号を使っていると、ついつい1を終対象だと思ってしまうことがある。そんときは、K-ベクトル空間とK-テンソル積の圏を思い出してみる。Kは終対象じゃない! A→Kはイッパイあって、双対空間ができるよ。
線型論理とエコ経済
避けて通っていた線形論理をほんの少しいじってみた。で、線形論理がresource sensitive/awareだって意味がなんとなくわかった。
縮約規則は対角=コピーだし、水増し規則は射影=要るほうを抽出=要らないほうを破棄すること。コピーもゴミ捨ても有料なのだ。それが、リソース敏感ってことだろう。エコ経済意識とも言えそうだ。
コピーと破棄がいくらでもできるのが古典直観主義論理=デカルト閉圏なわけだ。そう考えると、古典論理ってのは、直観主義であってもやっぱり“資源の無限性=コスト意識不要”を仮定してるわけで、人間的/現実世界的とは言えないな。
ところで僕は、「線型」と「線形」の使い分けにまったく無頓着だな。
観測者側の系
観測子とは何であるか - 檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編は少し変だった。次のように考えるべき。
実験観測をする側に、刺激(または信号)の履歴(または記憶)を蓄積しているデータHと、観測量または観測命題Pがある。新しい刺激・アクションaを投入すると、履歴Hにaを追加して、Pを新しい観測命題P'に置き換える。H→H+a、P→P' をaによる遷移と考えた系が観測者側で構成できる。
対象系に対して、対応する観測者側の系が(原理的には)構成できる。対象系のモデルを、観測者側の系から(超越的にでもいいから)構成する手法を与えるのがマイヒル/ネロード型の定理ってことだろう。
対象系Sと状態xに対して、刺激履歴Hの後でPが成立することを S, x |= {H}P と書いて、充足構造が定義できる。観測者側の系では、観測の初期状態(対象系の初期状態ではない!)が必ず特定されているので、点付きの系となる。たくさんの点付き系で対象系を近似し、覆っていくことが、「対象系を調べる」ことなのだろう。
アブラムスキーがテンパリー/リーブ代数を語る
The n-Category Cafe'(http://golem.ph.utexas.edu/category/)の記事 http://golem.ph.utexas.edu/category/2007/03/computer_science_and_physics.html 経由で知った:
Abramsky "Temperley-Lieb Algebra: From Knot Theory to Logic and Computation via Quantum Mechanics"(http://web.comlab.ox.ac.uk/oucl/work/samson.abramsky/tambook.pdf)
テンパリー/リーブ代数は、以前から「なにやらよくわかんないもの」だったので、43ページもあるだが、思わず印刷してしまった。
カウフマン図やテンパリー/リーブ代数の不思議な演算が少しでもわかるだろうか?
シミジミそうだよね、資源とエコロジー
コピーもゴミ捨ても有料 -- 我ながらじつにまったく実感がこもった言葉だ。いずれは対称(置換)もコストがかかるのかも。こうして、コスト意識から非可換線形論理に導かれるのかもしれない。