ドウセンの論文:一貫性の理解
ドウセンの論文で、一貫性をどう理解すべきかがやっと(少し)わかった気がする。
まず、素朴集合論に対する公理的集合論のように、公理的圏論(axiomatic category theory)あるいは形式的圏論(formal category theory)の文脈で考えないといけない。これは重要だ。
公理的圏論における公理系(その他諸々一式)で定義される概念を、圏のブランド(a brand of category)と呼ぼう(ドウセンの用語)。ブランドは正確に定義しにくいが、公理系のモデルである圏の圏(僕はレルムと呼んでいる)は、ウルトラ超越的な立場では外延として実在するから、ブランドの意味はレルムだと言ってもいい。ただし、レルムが純粋に外延なのに対して、ブランドはもっとイデアル(理念的)で、ブランドの実現として公理系がある、という雰囲気。
一貫性は、ブランドを実現する公理系に対する性質を述べている。論理との比較(比喩?)でまとめると次のようになる。
論理 | 公理的圏論 |
---|---|
論理式 | 等式 |
健全性 | 健全性 |
充分性、(弱)完全性 | 完全性 |
(強)完全性 | 一貫性 |
もともと用語法が混乱しているが、充分性はadequacyのつもり。十分条件(sufficient condition)の「十分」と区別して「充分」とした。ちなみに、充足はsatisfyの訳語。
では、一貫性(コヒーレンス)は(強い意味の)完全性の同義語かというとニュアンスが違うのだ。まず、一貫性が扱う論理式(論理文)は等式系である。等式系は可換図式の表現で、実質は可換図式とも言える。Dが図式で、対応する等式系をEとすると、|- E ⇔ Comm(D) という感じ。図式のクラスDに対して、∀D∈D.[|- E(D) ⇔ Comm(D)] のようなメタな言明を問題にする。Comm(D)はモデル論の主張で、実際の圏のなかでの成立することを意味している。
一貫性のもう一つの特徴は、レルムに属する任意の圏を相手にするのではなくて、通常は自由圏と典型モデルを扱うこと。自由圏をうまく構成し、「等式系が自由圏で成立するなら、証明可能である」という命題(完全性の一形態)を述べる。レルム内の任意の圏が、典型圏と圏同値になる、という定理も必要だ。
自由圏をリンデンバウム代数として構成すれば、上の意味の完全性は当たり前になる。結局問題は、リンデンバウム代数の実際の構成法。それと、リンデンバウム代数=自由圏よりさらに扱いやすい特定のモデル(典型モデルと呼ぼう)を構成して、充満関手G:F→M を構成すること。
Fがあるブランド(公理系、形式理論)のリンデンバウム代数=自由圏なら、f = g in F ⇔ |- 'f = g' はFの作り方から当たり前。f = g in F ⇒ G(f) = G(g) in M も当然だが、これが典型モデルMに対する“あるブランドのセオリー”の健全性となる。通常、G(f)は、自由圏の射fの絵図表現となる。完全性が成り立つには、Mの射が必ずGの像となることが必要で、これはGの充満性の主張となっている。
Gが自由圏(特定の形式圏論=ブランドのリンデンバウム代数)から典型モデルへの充満関手であることを示せば一貫性が従うが、より強く、典型モデルMが自由圏Fと圏同値(あるいは圏同型)であることまで示せることもある。シャムの定理はそのような例となっている。