モノイドの恐怖
先日:
こういう循環は、魅力的だが不気味だ。怖い。
圏のモノイド(対象)の定義には、外の圏がモノイド圏である必要があるが、モノイド圏の結合律は:
(C×C)×C -[(-*-)×C]→C×C -[-*-]→C
====================================== 結合律
C×(C×C) -[C×(-*-)]→C×C -[-*-]→C
これをホントの等式にするには、「≒」を同型として、(C×C)×C≒C×(C×C)を与える同型射の束(自然変換)α:(C×C)×C→C×(C×C) が必要だ。同様に、λ:C×{-}→C、ρ:{-}×C→C も必要。つまり、×(圏の直積)と{-}(自明圏)に関して、Catが非厳密なモノイド圏である事実を使う。ウーン、Catのモイノド性は具体的に示せるから循環は止まる、ともいえるのだが、「結合律の定式化に結合律が必要」という状況はなんか不安になる。気持ちが落ち着かない、というか;これが怖い感じなのだ。
それはそうと、モノイド概念はモノイド圏内で定義できるが、モナド概念は2圏のなかで定義できるのだろうか -- Fが2圏Dの1セルF:X→X(X∈|D|)として、μ::F*F→F:X→X、η::I→F:X→X(IはId_Xのこと)という2セルに対して結合律と単位律は定式化できるから、そのような(X, F, μ, η)はD内のモナドといっていいだろう。これは、D(X,X)が横結合*をモノイド積としてモノイド圏になるから、このなかでのモノイド対象になる。しかし、0セルXは構造を持たないから具体的なKleisli構成などは無理だ。単なる形式定義に意味(意義)があるのか? あるかもしれない。