土着性、翻訳不可能性と同義語・多義語による障害
記法バイアスと記法独立な把握: 順序随伴を例として - 檜山正幸のキマイラ飼育記では、
標準的テキスト記法の強烈なバイアスに支配されている、あるいは記法の獄舎に投獄されているからです。
自ら「記法の獄舎」に閉じこもりたい傾向(思考、指向、嗜好)を土着性と呼んでみる。
同義語に関しては ココ に書いてある。
土着性
- 言語・習慣・文化は、歴史的・偶発的・恣意的な決定の産物。合理性や整合性は期待できない。基本はイイカゲンでグチャグチャ。
- したがって、言語・習慣・文化に強く拘束されるのは好ましくない。言語・習慣・文化に強く拘束される傾向を土着性と呼ぼう。土地への愛着・執着・拘泥と似ているから。
- 実体・構造・現象は、それを記述する言語・習慣・文化の“向こう側”にあるし、言語・習慣・文化の影響は受けない。
- したがって、実体・構造・現象を捉えるためには土着性が邪魔(強い障害)になる。
土着性の兆候:
- 特定の言語・習慣・文化に執着して、党派性〈セクショナリズム〉を持ち、排外的になる。
- 特定の言語・習慣・文化から抜け出すことが困難、苦痛を感じる。
- 多文化、異文化に対する許容・受容が困難で、逆に攻撃的になる。
- 他の言語・習慣・文化への乗り換えはほぼ不可能。死んでしまう。
土着性から抜ける練習:
- 自然数において、記号≦は大小関係。
- 記号≦を 約数≦倍数 として使ってみる。
- 記号≦を 倍数≦約数 として使ってみる。
これは記号のオーバーロードに慣れる練習でもある。
別な練習:
- 等式の変形を縦書きの右から左で書いてみる。
これは、描画方向(書字方向)の変更の練習。
構文の多様性を受容して、「セマンティクス=記号と意味の結び付き」を、正確に理解すると共に柔軟に変更する。
単語レベル翻訳の不可能性
異なる言語・習慣・文化のあいだでは、単語と単語の1:1対応は期待できない。
- 例:water, lip, circle
- 例:algebra→多元環、equation, identity→等式、方程式、恒等式、distribution→分布、超関数、lattice, bundle→束
インデックス族に対する演算の書き方
- 大文字(これが曖昧語!)方式、、∪
- 別字(別記号)方式 +, ×
- 同字(同じ記号)方式 前置と中置かで区別
次は同じことを別記法で書いている。
- f(a) 普通の関数の適用
- fa 族〈ファミリー〉の成分
- f[a] 配列のインデックス・アクセス
- f.a メンバー参照
- a.f メソッド呼び出し
同義語:
- 関数〈function〉 f:X→Y
- 写像〈map | mapping〉 m:X→Y
- 付値〈valuation〉 v:X→V
- 割り当て〈assignment〉 a:X→V
- 族〈family〉 F:I→V
- 配列〈array〉 a:{0, ..., n}→V
- タプル〈tupple〉 t:{1, ..., n}→V
- レコード〈record〉 r:A→V
- ストリーム〈stream〉 s:N→V
同義語
- 配列、列、リスト、ベクトル、タプル、シーケンス、シリーズ = Nの区間からの関数
- ストリーム、シーケンス、シリーズ、無限{リスト | 列} = Nの無限区間からの写像
- レコード、マップ、ハッシュ、構造体、オブジェクト、行、名前・値ペア〈NVP〉セット = Nの部分集合ではない有限集合からの関数
- 他に、連想{配列 | リスト | マップ}、プロパティリスト、ドットペア〈dotted pair〉リスト、キー・バリュー・ストア〈KVS〉、名前付きタプル
同義語
- 域、始域、{インデックス|添字|インデキシング}{セット|集合|型}、※定義域、変域、独立変数域、パラメータ域、引数型、出力型、ソース{型|集合|空間}
- 余域、終域、※値域、従属変数域、{戻り|帰り|返却}値型、出力型、{ターゲット|標的}{型|集合|空間}
同義語 f(a) を意味する
- 関数値
- 従属変数
- 関数呼び出し
- {関数}?適用(した値)
- 評価(した値)
- 引数渡し(した値)
- インデックス・アクセス
- メンバー参照
- スロット・アクセス、スロット値
- プロパティ値
- 成分(ベクトルやレコード)
- 項目(リストや配列)
- 要素(リストなど)
- 属性値(行)
インデックス付き型
深刻な同義語問題
- (データベースの)テーブルスキーマ
- レコード型の型スキーマ(型定義ではない)
- リスト型の型スキーマ(がない)
- ユニオン型〈バリアント型〉の型スキーマ(型定義ではない)
- インデックス付き型
- 名前・番号への型割り当て
スキーマそのものと、スキーマから定義される依存積型の区別が付いてない。結果、依存積型と依存和型が同じスキーマから作られるという事実が見えてない(隠される)。深刻。
論理では、
- 命題関数 例:私は東京生まれです。nは奇数です。
- インデックス付き命題(これは檜山の造語)
- 命題スキーマ(これも檜山の造語)
限量子と、依存型を作る型構成子〈型コンビネータ〉が同じであることが見えてない(隠される)。深刻。
言語・習慣・文化が、実体・構造・現象の姿を覆い隠してしまう事例。実体・構造・現象を素直に見るには、言語・習慣・文化を変えるしかない。
余談だが、「命題関数は命題ではない」とか強調する人もいるんだなぁ、ウーン、そんなこと言われてもなー、実際のところ狭義の命題と命題関数を区別しないから。命題関数の余域が何であるかも不明瞭(二値ブール代数 or 論理式の集合 or 自然言語の文の集合?)だし。曖昧な概念に対してあまり断定的なこと言われても困るわ。不明瞭なところは結局(セマンティックブラケットを省略したりして)ごまかしているんだから。
さらに余談だが、「必要十分、十分条件」がわけわからないのも、含意記号が結合子であること、含意命題〈条件命題 | 条件法命題〉とは別にシーケントがあることが有耶無耶にされているせいだろう。
- 含意命題を構成する部品に前件命題と後件命題がある。
- シーケントを構成する部品に、仮定命題(複数かも)と結論命題がある。
- この2つを区別せずに、「条件」という言葉を說明しようとしても無理。
- 「条件とはなんぞや?」は、それ自身としては無意味な問。状況を明確化しない答えも無意味。