足りてない! これじゃダメだ
ポールソンにしろ1994年KalvalaのGentle Introductionにしろ、アルゴリズムと証明論を結ぶ話をしてない。まったくと言っていいほどに説明がない。
次のような事柄のあいだの関係が分からない。
- ルール(定理でもある)に付けられた、elim, intro, destという属性
- そもそも、ルール(の形になった定理)が、アルゴリズムでどう使われるのか。
- 除去レゾリューション(elim-resolution)、導入レゾリューション(intro-resolution)、解体レゾリューション(dest-resolutio)の実際のところ
- レゾリューションが論理的に正しい根拠
とにかく、自然演繹の論理的な議論と実際のアルゴリズム/ソフトウェアのあいだのギャップがすごくて、それを埋める説明がない。
- 自然演繹の証明図は証明オブジェクトであり、証明行為のログではない。
- 証明行為はグラフとみなした証明図(証明グラフ)のグラフ書き換えによって行われる。
- 証明グラフの書き換えはリーズニングと呼ぶことにする。
- バックワードリーズニング、フォーワードリーズニングという分類は適切ではないようだ。
- 説明でもソフトウェアUIでも、リーズニング対象である証明グラフの一部しか相手にされない。
- 全域的な状況が説明もされず、不明である。
- リーズニングが論理的に正当であることを示すには、全域的な状況が必要である。
- 全域的な状況に言及されてないということとは、論理的な正当化はされてない。
腹立たしい。