このブログは、旧・はてなダイアリー「檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編」(http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/)のデータを移行・保存したものであり、今後(2019年1月以降)更新の予定はありません。

今後の更新は、新しいブログ http://m-hiyama-memo.hatenablog.com/ で行います。

なんかヘン

ウェンツェルの目標と志には全面的に賛同するが、なんか考えがとっちらかっている(一貫性がない、混乱している、中途半端)んじゃないの。

  1. 宣言的文書がほんとにいいのか?
  2. 自分の説明や論文では証明図使ってるじゃん。それが分かりやすいからでしょ。
  3. なんで証明図をいちいちシリアライズせにゃならんの? ちょっとアホくさいんですが。
  4. Mizarに影響され過ぎでは。
  5. もともとがシーケンシャルなコマンド言語なんだから、宣言的って無理がある。
  6. 宣言部分をきれいに取り出しても、対話的に編集するのは別な困難がある。
  7. 探索的・発見的なフェイズではコマンドを使い、清書するときに宣言的に書く、ってアドバイスがあったけど(Nipkowだったか?)、それオカシイでしょ。
  8. 証明支援系じゃなくて、証明清書系になっちゃうよ。
  9. コマンドインタプリタとしての対話性は悪いもんじゃない、むしろ活かすべき。
  10. Unicode文字の扱いが無茶苦茶。
  11. せっかくの斬新なアイディアも保守的思考に絡め取られている。
  12. 30年もやっていたらしがらみはあるだろうね。キツイな、キビシイな。
  13. Globularのような体験共有型ってのもあるし、それがないと教育には使えないと思う。
  14. 時間性を排除したらダメだよ。人間は時間のなかで生きているんだから。