なんかヘン
ウェンツェルの目標と志には全面的に賛同するが、なんか考えがとっちらかっている(一貫性がない、混乱している、中途半端)んじゃないの。
- 宣言的文書がほんとにいいのか?
- 自分の説明や論文では証明図使ってるじゃん。それが分かりやすいからでしょ。
- なんで証明図をいちいちシリアライズせにゃならんの? ちょっとアホくさいんですが。
- Mizarに影響され過ぎでは。
- もともとがシーケンシャルなコマンド言語なんだから、宣言的って無理がある。
- 宣言部分をきれいに取り出しても、対話的に編集するのは別な困難がある。
- 探索的・発見的なフェイズではコマンドを使い、清書するときに宣言的に書く、ってアドバイスがあったけど(Nipkowだったか?)、それオカシイでしょ。
- 証明支援系じゃなくて、証明清書系になっちゃうよ。
- コマンドインタプリタとしての対話性は悪いもんじゃない、むしろ活かすべき。
- Unicode文字の扱いが無茶苦茶。
- せっかくの斬新なアイディアも保守的思考に絡め取られている。
- 30年もやっていたらしがらみはあるだろうね。キツイな、キビシイな。
- Globularのような体験共有型ってのもあるし、それがないと教育には使えないと思う。
- 時間性を排除したらダメだよ。人間は時間のなかで生きているんだから。