時間の空間 再論
以前、「“時間の空間”の圏」で、「時間の空間」という変な言葉を使ったのだが、僕のなかでは(あくまで個人レベルで)「時間の空間」が変じゃなくなってきた。本編でも「時間を加工する」なんて書いてる。
時間の総体(totality)は、なんらかの構造を持つ幾何学的な実体、つまりは空間なんだね。
伝統的な線形時間は、全順序を持つ連続的な1次元空間。並行する(しかし無関係な)時間は、線形時間(ほぼ直線)の直和みたいな図形。分岐する時間ならツリーになるし、分岐と合流がある時間は有向グラフになる。未来が過去に影響しないという意味で因果的なら、アサイクリック・グラフ。が、サイクリック・グラフも考えていい。サイクルがあっても被覆を取ればアサイクリックにできるし。
時間の空間の次元を1次元に限定する理由もない。並列処理の幾何学的モデルでは、局所的に方向がついた(未来錐を持った)空間みたいなものを考えて、ダイホモトピーを使ったりする。
“時間の空間”から“空間の空間”への写像として運動を考えるとか、時間の空間をベースとするバンドルの切断として、時間的に分布した場(これも運動の定式化)を考えるとかできるだろう。