このブログは、旧・はてなダイアリー「檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編」(http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/)のデータを移行・保存したものであり、今後(2019年1月以降)更新の予定はありません。

今後の更新は、新しいブログ http://m-hiyama-memo.hatenablog.com/ で行います。

モデル論的科学論なんて可能なんかい?

本編に書いた「通常科学と真性ニセ科学の両立不可能性について - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)」だけど、あの内容はそれなりの意味があると思ってはいるが、よく考えてみると穴だらけ、というかフィクションのかたまりだな。批判的に検討(ヒトリ・ツッコミ)してみよう。

僕が背景にしているのはモデル論だ。モデル論が対象とする“理論”(形式理論、セオリー)は、形式言語上で定義される。だが、通常科学を形式言語で記述するのは無理だろう。絶対(原理的に)出来ないと言い切れないけど、現実的に出来ない。ましてや、江本理論の形式化ができる気はしない。だから、形式言語上のセオリー(形式理論)の議論を適用することが(適用可能性が)疑わしい。

それで僕は、仮にモデル論的議論が適用できたとして、というフィクションから出発している。このフィクションが荒唐無稽とは思ってないが(思っていたらやらない)、フィクションを正当化するメタな議論(論法)を持っているわけではない。

(これから先、フィクションを認める。)Nが通常科学のセオリー、Eが江本水伝のセオリーだとして、NとEを比べるには、同一の言語L上にセオリーを定義しなくてはならない。NがL上、EがL'上でも、適切な翻訳L'→L(またはL→L')があれば比較できるが、結局は同じ言語上に載せる必要がある。さて、そもそもNとEを同じ言語L上に載せることができるのか? よく分からない。

それでさらに、NとEが同じL上のセオリーというフィクションを導入。まずもって、N、Eをそれぞれ単独で考えたとき矛盾してないだろうか? Nが矛盾しているとえらいことなので、矛盾してないと信じたい。信じる根拠は、今の科学がだいたいうまくいっているようだから。それ以上の根拠は見つからない(その割に信頼はしている)。Eが矛盾している可能性はたいへん高い。が、Eがそれ自身で矛盾していると、Nとの比較がナンセンス。よって、Eは矛盾してない、というかなり苦しいフィクションを導入。

これだけ山盛りのフィクションのもとで、やっと形式的議論ができる。


pが言語Lの文であることを、単にp∈Lと書いてしまう(記号の濫用)。Lには適切な演繹系がついているとして、N |- p, E |- p は普通の意味で使う。モデルとしては、唯1つのモデルRW(real world)を考え、RW |= p は、文pが実験・観測的に正しいと確認できることを意味する。

A⊆L だとして、すべてのp∈Aが RW |= p のときValid(A)と書く。セオリー(の生成系)Aが正しい、という意味。Aが構文論的に矛盾してないときConsis(A)と書く。これは、A |- p, A |- ¬p となるpがないこと。

現実(モデルRW)が信頼できることの表現として、Valid(A)⇒Consis(A)を仮定する。もし、¬Consis(A)∧Valid(A)であるAがあるなら、現実RWは p∧¬p を許すことになる。矛盾したセオリーにモデルがあり、そのモデルが他ならぬ現実であるのは許し難い。よって、メタ命題 Valid(A)⇒Consis(A) は原理(現実の整合性)としていいだろう。

AとBが両立不可能とは、¬Consis(A∪B) のこと。特に、Consis(A)かつConsis(B)であるのに、¬Consis(A∪B) である状況が問題になる。現実が整合的であることから、¬Consis(A∪B)⇒¬Valid(A∪B)。つまり、合併したセオリーA∪Bは現実と比較して正しくない。A∪Bがvalidでないとしても、A、Bのvalidityの組み合わせが4つあるが、「Valid(A)かつValid(B)」が除外される。なぜなら、p∈Aならば RW |= p、p∈Bならば RW |= p が成立している。これはすぐに Valid(A∪B) を導くから、¬Valid(A∪B)とはならない。残る可能性は3つ:

  1. Valid(A)かつ¬Valid(B)
  2. ¬Valid(A)かつValid(B)
  3. ¬Valid(A)かつ¬Valid(B)

つまり、「AとBが両立不可能」≡¬Consis(A∪B) から出発すると、「AもBも正しい」≡Valid(A)∧Valid(B) は起こりえない。もし、(なんらかの理由で)¬Valid(A)∧¬Valid(B) も除外できるなら、AとBのどちらか一方だけが正しいことになる。

それで僕は、「NとEが両立不可能」≡¬Consis(N∪E) を示そうとした。p∧¬pとなる命題pは、「言葉のメッセージは、水の実験結果に影響を与えない」を使った。しかし、両立不可能性が純構文的に(証明論的に)出したかというと、そうじゃない。モデルRWとの照合(実験・観測)を使っているので、構文的じゃない。ただし、RW |= p であるようなpを最初から公理に入れておいたのだ、と言い訳できなくもない。

通常科学では、Consis(A)とValid(A)はあまり区別できないのじゃないか、という気もする。その他、問題点:

  1. 言語やセオリーが更新されるときのダイナミズム
  2. モデルが1つとは限らないとき
  3. その他、僕がここで使っている仮定が使えない状況