このブログは、旧・はてなダイアリー「檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編」(http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/)のデータを移行・保存したものであり、今後(2019年1月以降)更新の予定はありません。

今後の更新は、新しいブログ http://m-hiyama-memo.hatenablog.com/ で行います。

因果性、自発性、法則性

(二者の)対話における因果性を、僕は一種の「慣性の法則」として理解している。つまり、「何も働きかけなければ何も起きない」と。自分または相手が非因果的であるとは、勝手に変化することだが、実際には隠れた原因があり、そこまで考慮すれば因果的なはずだ。つまり、システム境界の取り方で因果性は容易に壊れる。

今、ホーア・トリプル P{E}Q を考える(クアドラプルは面倒だから)として、自発的変化をε遷移 P{}Q で定式化する。通常は、コマンド列Eに対して、これが定義する状態空間の変換(同じくEと記す)を考えて、P{E}Qの意味はE(P)⊆Q (P, Qを状態空間の部分領域と解釈)だとする。すると、P{}Q の意味は P⊆Q となるが、これはオカシイ

P⊆Qはまったく静的な主張だ。P{}Q がε遷移を表すなら、これは動的なハズだ。おそらくは、時間推移(nextingと言うべきか)オペレータがある。つまり、P{next}Q だ。しかし、nextってオペレータはいったいどこに働いている? nextは「何もしないで時間がたつ」ということだろう。「ブランクな行為」とも言えるか。

では「時間がたつ」てのはいったい何だ? あるいは「時間がたたない」ってのはいったい何だ?

因果性とは、「今したことが、次の瞬間になにか影響する」「今は、過去にしたことで影響されている」ってなことだろう。因果性は時間概念と密着している。時間を定式化しろってか -- うーん、そりゃムズだ。

対話的因果性は、システムが対話主体二者で閉じていることだが、非因果的でも法則性はありえる。むしろ、ほとんどの法則性は対話的因果性とは別に定式化されている -- これは何を意味するのか?