このブログは、旧・はてなダイアリー「檜山正幸のキマイラ飼育記 メモ編」(http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama-memo/)のデータを移行・保存したものであり、今後(2019年1月以降)更新の予定はありません。

今後の更新は、新しいブログ http://m-hiyama-memo.hatenablog.com/ で行います。

時間の空間=固有時空=主体的時空=内部時空

僕は、「時間の空間」という言葉をずっと気にしている

次の短い論文を読んだ。

これのRemak 2.3 に面白い指摘が。一段落を文ごとに切って訳す。

Here calling a Riemann surface as a spacetime might be a confusing misnomer because the target manifold plays the role of a spacetime in the usual formulation of string theory.

In fact, even for our formulation of quantum mechanics, the spacetime is defined as R as opposed to N.

This perspective can be justified by thinking of Feynman diagrammatics together with Schwinger's proper time formalism.

One peculiar point to note from this way of thinking is that we do not fix the domain manifold.


ここではリーマン面を時空としているが、これは混乱をまねく誤称と思われるかも知れない。なぜなら、弦理論の通常の定式化では、標的多様体のほうが時空の役割を果たすからである。

実際、我々の量子力学の定式化において、時空は多様体Nではなくて、R(実数直線)として定義されている。

この見方は、ファインマン図式法をシュウィンガーの固有時時間定式化と共に考えることによって正当化できる。

この考え方において注意すべき(やや奇妙な)点は、領域(外部環境)となる多様体を固定しないことだ。

ユ(Yoo, おそらく若い韓国人)の用語「時空」は、外部環境/世界としての時空ではなくて、運動の主体(例えば質点)が感じる固有時の意味だ。しかも、外部環境/世界のほうは固定しないで、必要に応じて変えることになる。運動主体/行動主体が感じる全時間の多様体が先にある。

僕が「変な言葉」だと思ってきた「時間の空間」は、主体とその全行動、主体に前もって内在している歴史のパラメータとしての時空ということになる。環境時空に対する主体時空、外部から計測される時空に対する固有時空、外部時空に対する内部時空などと呼べる。

呼び名は固有時空とか主体時空がいいかもしれない。対称性からは内部時空と外部時空、あるいはソース時空とターゲット(標的)時空か。問題は、固有時空/主体時空/内部時空/ソース時空のほうだ。

[追記]
ユのホームページ:

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