デカルト閉圏の要素
終対象またはモノイド圏の単位対象からの射を「要素」とみなすのは割と自然な発想。デカルト圏なら終対象=単位対象なので、Cをデカルト圏として、Elt(C) = {e∈Mor(C) | dom(e) = 1 } としてElt(C)を定義する。Elt(C)は単に射の集合で構造を持たない。
Cはデカルト閉圏だとして、/C/ を自己豊饒化して作ったC-豊饒圏だとする。本編 豊饒圏(ピノキオ)が圏(人間)になる物語 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 で書いた方法で、/C/ を通常圏に戻したものを C∩ とする。CとC∩は物凄く似てる。それは、F:C→C∩ という関手があり:
- Fはidentity-on-objectsである。
- Fは充満忠実である。
CとC∩は物凄く似てるので同一視していいのだが、ほんとに同じではない。これが棘のように刺さるのがElt(C)とElt(C∩)の違いだ。
- Elt(C) は Mor(C) のごく小さな一部に過ぎない。
- Elt(C) は Mor(C∩) と同型であり、同じとみなせる。
- Elt(C∩) は Mor(C∩) の小さな一部であり、したがって、Elt(C)の小さな一部である。
Mor(C∩) = Elt(C) ⊂ Mor(C) = Mor(C∩) という循環的な真包含が違和感を抱かせる。無限なものだから、自分に自分を埋め込めるのは当たり前だが、埋め込む前と埋め込んだ像があまりにも似ているので混乱をきたす。
e:1→A ⇔ e:A と書くことにする。これは「eはAの要素である」の意味。
- e:A in C は、eはAの要素であり関数でなない。
- しかし、e:1→A in C だから、eは関数とみなせる。
- e:A in C∩は、eはC∩におけるAの要素であり関数ではない。
- e:1→A in C∩は、eはC∩における関数ともいえる。
- e:[1, A] in C なので、eは関数空間の要素であり関数ではない。
- e:1→[1, A] in C なので、eは関数空間に値を持つ関数である。
言ってることが無茶苦茶だが、
- Cを見るか、C∩を見るかで概念は変わる。
- 「eが要素である」が「eは射ではない」を意味しない。「特殊な射である」の意味
あたりが無茶苦茶さの原因。
[追記]次に0引数関数と定数の関係の考察がある。
[/追記]